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事業者名:株式会社 小野酒造店

海外品評会で受賞                 米に付加価値を生みだす酒蔵

 

2023年5月、辰野町に飛び込んできたのは「株式会社小野酒造店」が手掛ける「夜明け前 大吟醸」が、ワイン品評会「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ) 2023」SAKE部門・大吟醸酒 部門において「ゴールドメダル」を受賞したというニュース。さらに、ゴールドメダルの中でNO.1に与えられる「トロフィー」にも選ばれました。

「IWC」は、毎年ロンドンで行われる世界最大規模のワイン品評会。2007年に「SAKE部門」が設立されたことを機に、日本酒の海外進出における重要な機会となっています。

「2022年でもゴールドメダル及び「リージョナルトロフィー」を受賞しているので、2年連続の受賞です。『トロフィー』は大変名誉な賞。ありがたいですね。」と話すのは「株式会社小野酒造店」の6代目、小野能正さん。

小野酒造店が目指す「夜明け前」の味わいや、創業からおよそ160年間の発展の歴史、仕事のこだわりなどをお伺いしました。

 

 

 

■もう1杯飲みたくなる酒を目指して

 

先述の「夜明け前 大吟醸」も含めて、現在20種を超える日本酒を販売している小野酒造店。「夜明け前」の目指す味わいは、どのようなものでしょうか。

「華があって、非常に上品な“吟醸香”がある。そして口当たりがまろやか、もう1杯飲みたくなるような切れ味のある酒です。“吟醸香”とは、酵母が生み出すフルーティーな香りとも表されます。これらを成立させようと努力しています。」と小野さん。

 

 

霧訪山のふもと、信濃川水系と天竜川水系の「大分水嶺」のある小野地域は、きれいな水に恵まれます。冬の寒さも非常に厳しいものがありますが、これらの環境は、日本酒の醸造に適しています。さらに、この地域の水に合った“米”を使うことも重要です。

「酒質を考えた結果、兵庫県の山田錦、そして長野県では金紋錦、美山錦、山恵錦といった酒造好適米を100%使うことに、こだわっています。」と小野さん。

今回受賞した「夜明け前 大吟醸」は、兵庫県口吉川産の山田錦を、贅沢に35%まで磨くことで、雑味のない、きれいな味に仕上げています。低温かつ長期間かけて醸すことで生み出される華やかな香りも特徴です。

その一方で、吟醸酒や純米酒、本醸造酒などの「特定名称酒」として分類されない、いわゆる普通酒にも手を抜きません。

「我々は地元酒から始まった酒蔵。やっぱり地元の方々にも、変わらず飲んでいただきたい。その気持ちから、毎日の晩酌として選ばれるお酒でも、すべて酒造好適米を使って、60%まで精米しています。ここまでしている酒造は、おそらく日本ではかなり少ないと思いますね。こだわりを持って届けていきたいです。」と小野さん。

 

 

 

■創業は160年前。米に付加価値をつける

 

創業は元治元年(1864年)。この土地でおよそ160年間、醸し続けてきた小野酒造ですが、最初は地元に向けて販売する小さな酒屋から始まりました。

「先祖様が一生懸命働いたところから地主となったのですが、そこで集まった年貢米に付加価値をつけようってことで、酒屋を始めたんだと思います。」と小野さん。

当時、お酒というのは貴重品、非常に高価なものでした。小野さんいわく“米にいちばん付加価値が付けられるのが日本酒”。しかし、長い歴史の中では、商売を続けていくべきか否か、悩むような岐路に立ったこともあったのだそうです。

当時、一番恐れられていたのは「腐造乳酸菌」によってお酒が腐ってしまう「腐造」。「腐造乳酸菌」によって一度腐造に追いやられてしまうと、酒屋にある全てのお酒が飲めなくなってしまうどころか、二度とその蔵では酒を造ることができないほど強い菌だったそうです。酒屋は一気にお米を集めて1年分のお酒を造りあげますが、その全ての財産を使って仕入れた酒が、単なる濁液になってしまう。小野酒造店は腐造を免れたようですが、多くの蔵が廃業に追い込まれたのだそうです。

 

 

 

■地域から、全国で飲まれるお酒へ

 

小野酒造店が現在まで継続する第一歩は、小野さんのおじいさんが今の大阪大学工学部の前身である「大阪高等工業学校醸造科」へ進学したこと。後に、NHK連続テレビ小説「マッサン」でモデルとなった日本人初のウイスキー蒸留技師・竹鶴政孝も通っています。

「学校で醸造について勉強し、技術を得て帰ってきたわけですが、それだけでなく、日本全国の酒屋の跡継ぎたちとの人脈が広がりました。そこから酒造りに適した播州や播磨などのお米を仕入れることで、お酒の評価を高めていったのです。」と小野さん。

さらに、小野地域の製糸業の発展も、小野酒造店の発展に寄与しています。製糸輸出のために1906年(明治39年)、中央東線が延伸し小野駅が開業、そして中央西線が延伸しました。

「鉄道によって大量流通ができるようになったことで、酒を樽いっぱいに小野駅から貨車に乗せて、灘や京都など関西へと運んでいきました。樽が並ぶ光景は相当なものだったそうですね。そういう経緯があって、酒蔵としての体力を蓄えて基礎を築いていきました。」

 

 

 

■いいものは、きっと届くはず

 

昭和となり、「夜明け前」という名前で初めて売り出したのが1972年(昭和47年)。当時は妻籠馬込の旅行ブームで、観光客への販売を見込みました。島崎藤村の代表作である「夜明け前」の名前を使うことを、藤村の嫡子である藤村記念館初代理事長・島崎楠雄氏より快諾を得ています。

このように、地域の人々に限らず販売をしていた一方で、当時は辰野・伊那谷地域での知名度はそこまでなく、値引きして販売していた状況もあったのだそう。しかし、だんだんと東京から評価を得たところで、地元でも再評価されることとなります。

「1980年ぐらいから、こだわりの酒を扱う日本酒の専門店というものが、東京で少しずつ広がってきたことで『東京で”夜明け前”を見た。しかも支持されている』と地域の方が再評価してくれたんです。本格的な知名度向上のきっかけとなりました。」と小野さん。

地元でのお酒のシェアも上がり、現在では、辰野のほとんどの飲食店で「夜明け前」が並びます。

「地道にいいものを作る努力をしていくことで、少しずつ評価していただけるようになったのだと思います。それも10年20年の問題ではなく、もっと長い期間が必要でした。」

 

 

「米の付加価値を生み出すのは、今も昔もやっぱり日本酒だと思っている」と小野さん。今後は、酒を造る蔵人とお客さんが交流できる機会をつくり、日本酒の価値を伝えていくことも考えています。

「きちんとした原料を使って、きちんとした酒造りをして、きちんとした管理をして、それをきちんとした流通を通してお客様にお求めいただくように、努めていきます。
インバウンドの方にも、地元の方にも、おいしく飲んでいただくのが、一番嬉しい。『おいしいね』と言っていただけるのは、我々にとっては非常に励みとなります。」と話します。

 

 

 

■蔵人として、酒を造る

 

 

社員の方にもお話を伺いました。まず、酒造りを担当する「蔵人(くらびと)」として4年目の竹内有哉さん。地元の高校を卒業して入社しました。

「働くなら地元がいい、そして食品関係の仕事に入りたいと思ったことから、酒蔵をひと通り見学させてもらいました。それまで、お酒についてのイメージはあまり明確に持てなかったのですが、興味を持ちました。」と竹内さん。

入社から数年は、お酒は飲めない年齢でした。しかし、長い期間をかけて、みんなで一丸となって造り上げる大変さを知って、さらに魅力を感じたそうです。

「日本酒の醸造は、冬の寒い気候を利用するため、10月〜5月のおよそ半年間におこなわれます。やりがいを感じるのは、長い期間かけて醸造した酒を、お客さんに評価してもらえた時。地元の祭りでも『おいしい』とか、満足そうに『うんうんうん』って言ってもらえると、大変だったけどやっぱり造っていて良かったなって思いますね。」

竹内さんが、自分で手掛けた日本酒を初めて飲むことができたのは昨年のこと。その時の味は忘れられません。

「自分の手で作ってるから、というのもあると思うんですけど、本当においしかったです。感激もひとしおでした。」

 

 

 

次にお話を伺ったのは奥村 美智代さん。

蔵人でありながら、公式サイトのEC管理・企画・記事更新も担当しています。

「企画を始めた理由は、公式サイトをもう盛り上げていくため。ファンの方に楽しんでもらえるように、そして新しい方にも、充実した形で『夜明け前』を捉えてもらいたい気持ちがありました。」

 

 

「自分達がやっていることの伝え方・見せ方は重要ですよね。表現にも気を配って、会社が掲げているブランドイメージを崩さないように気をつけています。」と、奥村さん。地元の酒屋さんの記事を書いたところ、お客さんがその記事をきっかけに来訪されたという声も届いているようです。

 

 

酒づくりは役割が細分化されていて、担当工程が決まっている一方で、全員で取り組む麹づくりは、特に重要工程となっています。

「麹は生き物。五感をフルに使わないと、うまくいきませんね、言葉で伝えるのが難しい工程です。」と竹内さん。奥村さんも「お酒は人間の技術が素直に発揮されるものです。」と話します。

リーダーである杜氏が示した味を、みんなで目指して、できあがったお酒を口に入れたときが、一番嬉しい時。みんなでしみじみと味わうと 『ああ、こうなったか』と、なんとも言えない達成感があるのだそう。

「酒に向き合う長い過程が、酒造りの難しさでもあり、面白さでもあると思います。ハードな仕事だけれども、蔵人が一丸となって造り上げた結果、それを超えるような感動がある。なかなか味わえないものづくりだと思います。」と奥村さん。

一つ一つの過程を、真剣になって取り組んでいくことで、地元や世界で愛される、いい日本酒が生まれていきます。

 

 

 

  • 会社情報
  • 会社情報
    事業者名株式会社 小野酒造店
    所在地〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町大字小野992
    電話番号0266-46-2505
    FAX0266-46-2751
    E-mailinfo@yoakemae-ono.com
    URLhttps://yoakemae-ono.com/
    設立年月日1951 年 1 月 17 日
    資本金10,000,000 円
    代表者名代表取締役 小野能正
    全従業員数20 人(内、男性 12 人、 女性 8 人)
    主な業種製造業、卸小売業
    事業内容〇清酒製造業
    〇単式蒸留焼酎製造業
    〇清酒リキュール製造業
    〇全酒類小売
    会社PR

    標高810m日本の中心にほど近い辰野町小野宿。宿場の古い家並みの中、元治元年(1864年)創業。以来手造りの伝統を守りながら新しい設備や技術を積極的に導入し今日に至っている。酒造を実際に手掛ける「杜氏」「蔵人」、そして社員一同の意欲的な研鑽ぶりと、近代化の中で生まれた銘酒は、地元はもとより全国的に評価が高くなりつつある。

    IWC2023SAKE部門大吟醸の部で金メダルNO:1のトロフィー受賞。

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事業者名株式会社 小野酒造店
所在地〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町大字小野992
電話番号0266-46-2505
FAX0266-46-2751
E-mailinfo@yoakemae-ono.com
URLhttps://yoakemae-ono.com/
設立年月日1951 年 1 月 17 日
資本金10,000,000 円
代表者名代表取締役 小野能正
全従業員数20 人(内、男性 12 人、 女性 8 人)
主な業種製造業、卸小売業
事業内容〇清酒製造業
〇単式蒸留焼酎製造業
〇清酒リキュール製造業
〇全酒類小売
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標高810m日本の中心にほど近い辰野町小野宿。宿場の古い家並みの中、元治元年(1864年)創業。以来手造りの伝統を守りながら新しい設備や技術を積極的に導入し今日に至っている。酒造を実際に手掛ける「杜氏」「蔵人」、そして社員一同の意欲的な研鑽ぶりと、近代化の中で生まれた銘酒は、地元はもとより全国的に評価が高くなりつつある。

IWC2023SAKE部門大吟醸の部で金メダルNO:1のトロフィー受賞。

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